2013年12月31日(金)晴れ |
あっという間に1年が終る |
今年で50代となってしまった。18から今の持病になり、殆ど仕事もせず、ダラダラした生活を繰り返してきたが、何だか物凄く惨めな気持ちになってる。 最初の頃は、中学時代に虐めから、人へのコンプレックスを強く持つ様になっていて、人を強く意識し、 自分は避けられている嫌われているんだと思うようになっていたんだけど、本川から高知市へ戻ってきて、 外へ出る様になって、自転車屋で仕事をする様になってから、人との接触が活発になり、人への意識が大きく変わって行った事を覚えてる。 特に、自転車屋へ行ってた時には、気楽に接触する人も出てきていて、本当に自転車屋へ通ってた事は大きかったと思う。 だが、そこを辞めてから、また仕事をしない生活が続いている。ただ、自分の趣味である写真を撮りに行く事で、活発に外へ出る様にしてるけど。 最初は、人の目を意識して思いっ切り撮れない事が多かったんだが、今では意識する事なく活発に撮る様になってるけど。 そう思うと、高知市へ戻ってからの生活で、自分は大きく変わってきてたんだなと思ってしまう。 だが、国の手助けを受けて生活している今が、惨めでならないんだよ。パートをやっていた妹が、専門学校へ通った末に新しい仕事へ正社員として就く事になった。 こんなの見せられると、余計に今までの自分は一体なんだったんだろうと思えてしまうよ。 今は、吉村神経内科へ通っているが、吉村はまともな診察など一切行ってなどいない。 だから、ワンパターンな処方を繰り返しているんだろうが、その影響もあってか持病の症状が悪化している感じなんだよ。 土佐に通ってる時には、単純と複雑が起こっていて、ほぼ毎日発作は起こっていた。きつい生活を繰り返させられていた。 それに我慢できなくなって、医大へ変えたら単純は消えて、複雑の発作も大きく減少していた。 それからの診察で、複雑も月4回位の安定した状態になっていた。 医大の教授に都合から、細木へ病院を移ったんだが、最初は安定した状態にあったよ。 だが、処方で副作用が起こったり、毎回増加していっていた薬の影響からか体が物凄くだるくなり、その事を言うと今度は毎回減少させていっていた。 すると、新たに副作用が起こり、救急車で細木へ送られた。 そして担当医だった高坂の緊急の診察を受けたが、あのやぶ医者は自分の処方で副作用を起こさせていた事を無視して、診察拒否だと言いまくりやがる。 素直に受けたよ。こんな医者に二度と掛かりたくないと思って。次に世話になる様になったのが、吉村。土佐の須藤と同じで、ワンパターンな処方しかしない。 吉村のとこに行ってても、自分が良くなるなんて事はない。これまでは、通ってる家族を意識して吉村を続けていたんだが、来年からは病院は変えたいと思ってる。絶対に。 今年で50代。社会復帰するとしたら、チャンスはこの年代が最後だろう。今の惨めな状態でくたばりたいなんて全く思っていない。 何とか持病を回復し、何とか何らかの職に就き、人とのコミュニケーションを活発に取れる様になりたいなと思ってる。 でないと、本当に何もせずに、物凄く惨めなままくたばってしまう事になるからな。 |