気まぐれ日記


2016年5月31日(火)晴れ
妹と絶縁

今日の午後、昼食の前にパンを食べていた時に突然ドアが開く音が聞こえた。こんな時にやってくる奴は妹しかいない。また、何も言わずこそこそ歩き回ってさっさと出てくんだろうなと思ってたら、
いきなり、「お母ちゃんの財布を出して」と言い出す。何いってんだと思ったら、あいつは勝手に自分は生活苦なのにいつも買い物を要求されている。
だから財布を出せ。 そして、爺はショートステイに出ていて、俺は楽してんだろうと言い始めた。
だから、ショートステイにはいっていない。自分だけで介護をやっているという。介護はどって事ないみたいな事ぬかすから、お前もひとりでやってみろよと言えば、
自分は図南病院で介護をやっているなどと出鱈目をぬかし始めた。

じゃ、図南でどんな介護をやっているのかいって見ろといえば、見に来ればといい始める。行ってやると言えば、今日は夜勤だと。夜勤でも行ってやると言えば、いきなり病院変えた。じゃ、変えた病院教えろと問い詰めると、とぬかしやがる。
見に来いといったのはあいつだぞ。見に来いといったからには、自分の働き場所を自分からしっかり言い切るのが常だろ。何度問い詰めてもあいつは拒否する。ぶち切れた。
思わず首下掴んで横へぶっ飛ばしちまった。あいつは、いきなり泣き叫び、逃げる様に外へ出て行きやがったよ。
間違いなく警察が来るなと思った。思った通り南の警察の者が来た。

最初は冷静に話していたが、あいつの事を話していると思わず興奮してしてしまう。外にあいつがいると分かり、外へ出てあいつに向かおうとした時には、
警察官に止められた。その後、警察官に色々と注意されてしまったが。

その後、近森病院に行き、母に会い見舞いにきてただろう妹と何があったかを聞いてみると、昨日一寸したパンを買ってきてくれと頼んでたらしい。
そして今日、見舞いに来た妹は自分は金は出せない、俺からも買うてもらいなどとぬかしてたらしい。
何やらぬかして、俺のとこへ来て、母の財布を出せと勝手に言い出したんだろうな。
俺にも買うてもらえ、アホらしい。自分がこうちゅうもんと違う別のもんがあるのに気が付きゃ、他の者が買うたもんがあるとすぐに気が付くだろう。それとも、あれらは全部弟がこうちゅうもんとおもっちょったんやろか。

とにかく、もうあいつにはうんざりだ。絶対に絶縁だ。

2016年5月20日(金)晴れ
苛立ち

先週、上記をアップしたのが何時だったのか覚えてないが、その後に晩飯の時に、爺と歯痒い思いをさせられ、もう俺が一緒にいたんじゃ食えねんだろと言って部屋を出た。
そのことを、一応弟に知らせ、後は弟と妹で面倒見てやれといって後免へと向かった。
高知を離れる為に特急に乗る為に。

翌日岡山に行ったが、特急に乗る為に待っていた土佐山田駅が寒くて全く眠れなかった事が影響してたんだろうか、岡山に着いた直後はどって事無かったんだが、
時間が経つに連れ 体がだるく、痺れも感じる様になり、早く薬を飲まなきゃと思い急いで駅西口にあった、松屋で牛丼を食べ、駅の自販で買った水で薬を飲んだが。
最初の予定は名古屋でもいこうかと思ったりしてたが、移動するんじゃ無く泊まりたいと思い始めるが、岡山じゃ見つかりそうにない。
だから香川の琴平に戻り、そこで宿を探そうと思い 向かった。願い叶ったか、すぐに見つかった。

で、ホテルで持ってた携帯見てみると弟からの電話が掛かってたみたいで、留守電聞いてみると、どこにいるのかと聞いている。夜に本人に電話すると、 一応あいつらが面倒見ているといっている。
その時に改めて考えてみた時、俺はあいつらに迷惑を吹っかけただけなんじゃないのかなと思い始める。 ホテルにはいった時には、翌日にはまた岡山にいこうと思ってたんだが、帰らなきゃならないのかなとも思い始める。
月曜日の夕方に高知駅に着いた。その時には土砂降りだった。簡単に母の見舞いをして、すぐに高知駅へ戻り土佐山田駅へ向かう。まだ土砂降りだったが、自転車で帰ってきた。

帰って来た直後には、あいつら本当にちゃんとやってくれてたんだなと思ってたんだが、何だか勘違いしてたみたいだ。何より爺に薬を飲ませてなかったらしい。
洗濯もしてくれてたみたいだが、 何故だか外干じゃなく、部屋干にしてたみたい。
殆ど俺のだったけど。後から、あんな奴らにしてもらいたくなかったなと思えてきたよ。
弟が土・日と爺の横で泊まってたらしいが、月曜日はそうではない様だ。となると、爺は日曜は朝・夕と食事は取れていたかもしれないが、月曜は無かったろう。昼食も月曜は無かった。

妹は何をやっていたのか、全く想像も出来ん。弟達には精一杯やってもらってたかもしれないが、妹にはいい加減にやられていた。これを爺がどう感じたんだろうな。

俺が戻った日の夜、爺が訳の分らん事を言い出す。無視したけどな。
翌日から、爺の介護をする事になるが、先週の土曜とは異なり、かなり素直に動くようになりやがった。
あいつらの介護でも いい思いをしてなかったんだろうなと思わされたが。
だが、今朝の朝食を見ると爺は俺の作った飯に全く箸をつけていない。 インスタントの菜は食ってるのに。また嫌気が差してきた。

ショートステイは2日前に長浜病院の施設で受けるという事で一応決まっていたんだが、近森が来週の前半にも退院できるかもしれないとケースワーカーの山岡に情報を出した事で、
母の状態待ちという事になった。
今日も見舞いにいっているが、医者からは入院治療が必要なのは右膝か右足といわれた様で、実際に右足の太腿から膝辺りまでがアイシングされていた。
昨日までは膝に物凄く熱を感じ痛みもあったらしいが、今日になると熱は引き、 痛みも無くなっているといっていた。
爺にも兄弟にも、何だか反吐が出るような心境になってきている。今度、この世帯を離れると決断し、行動するならその決断実行を絶対に腹に括ってやらないと、
また恥をかくことになるだろうし、後悔する事にもなる。


2016年5月14日(土)晴れ
親父との乖離

今月10日に母が体の状態がよくないという事で、救急病院へと運ばれた。
最初は、入院せずにそのまま帰ってくるんじゃないかと思っていたが、ER室では高熱が下がらないという事から、入院治療を選択したらしい。 介護中の親父の面倒を見る為に一時部屋に戻っていたが、入院手続きの為にすぐに病院へ戻っていった。
この日から、親父の介護と家の家事などを全て自分だけでやる事になってしまった。

自分としては、近い将来には独立を意識しているからその予習になるだろうとも思っていたが、親の介護と見舞いも加わるとかなりきつい。特に最初の2日目、3日目辺りは 見舞いにいってもすぐには帰ってはこれない。
部屋に戻れば、洗物があったり洗濯があったり、リハビリから帰る親父の菜の用意も考えておかなければならない。10日は昼食から晩菜まで色々と考え用意したつもりだが、何故だか親父は碌に食おうとはしない。
11日には弟が嫁の作ったらしい菜や、スーパーやコンビニで買ったと思える物を持ってきたので、次の日の朝からそれを出していくんだが、やはりろくに食べようとはしない。
特に俺の作った飯には全く手を付けていない感じだ。

母の時にも、朝食を完全拒否する事がちょくちょくあったから、無視はしていたが、今日になると「もう朝食は食った。残してある。それを昼に食う」などという。俺の出す飯を食う事の拒否なんだろうな。
思わず切れた。もうこんな奴の介護などやって行けないと思ったよ。向こうが拒否してる様なもんだからな。
昼は残している物を食うと一旦だから、それを食うんだろうなといって、俺はも関係ないと言い切った。だから俺も今日の昼は食わない事にする。 昨日ケースワーカーからショートステイに1〜2週間ほど預けるプランを聞かされた。早速相談に乗ってくれる、施設を見つけてくれて来週の月曜日に第一で俺と親父と施設の人と3人で話し合うという事が決まった。
親父というよりも、あの爺はどう思うか知らんが、どうしてもこのプランを成功させたい。
でなきゃ、母が退院するまであの爺との2人暮らしなんてもたねえよ。俺が持病を起こしてくたばっちまう。
一人暮らしになってもその可能性はあるけどね。









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