言葉



かなり恥かしいというか情けない話になってしまうのだが、だいぶ昔の事だけども僕は俗に言う引きこもり状態に陥ってた時期があった。 この頃は何が原因だったかは覚えていないが、人に対してかなりの偏見を持っていて、人と会う事をとても嫌がっていた頃。
そんな中、 自分なりに色々な葛藤を繰り返した末に社会復帰というか、また自ら外へ出るようになっていったのだが、引きこもっていた時の後遺症だったのだろうか、 最初の頃は人と接する事がもの凄く苦手で、自ら避けようとしていた。
だから、最初の頃は社会復帰とはいっても、ただ外へ出るようになっただけの事で、 引きこもりの時と対して変わりはなかったのかもしれない。

だが、それから徐々に色々な人と出会う事から、部屋に引きこもっていた頃の人への偏見は薄らいでいき、自分自身もかなり変わっていったのだけれど、 中々変われないというか、元の自分に戻りきれない部分もあった。
引きこもる前だと、僕は結構人に気楽に語りかけたりしていたのだが、未だにそれが苦手である。友人、知人に対しても自分から語りかける事は 多い方ではない。逆に語りかけてくれれば、結構話すのだが。
だから、店にお客さんがいらした時でも、主に自転車を預かって修理をした場合、修理を終えてお返しする時にはしっかりとした修理内容の説明を しなくてはならないと思うのだが、それが出来ずにお返ししてしまう事がよくあった。その時には、後悔してしまうのだが。

日記にも書いているけども、先月(2月)の事だが、ちょっとした事から軌保博光が高知に来ていて、その日もイオン高知で書き下ろしパフォーマンスを やる事を知った。この人の事は過去にもテレビで見た事があって、相手を見て綴るその文というか詩は、相手の心に何かを感じさせてくれるらしく、 前から感心を持っていた為に、僕自身も何か書いてもらいたいなと思い行ったのだが、その時に書いてもらった言葉が、

笑い神
OO
おおくに出会い
おおくにしあわせを
届ける人
OO

書くとこを見ていて、最初笑い神と書いた時は、何だろうと思ったが、その後を見ていくと何だか過去と現在の自分の心を見透かされたような感じだった。 この言葉から感じた一端は、もっと心を開け。だろうか。また、この言葉は僕に何かを与えてくれたみたいだ。この言葉をもらってから、人との会話、特に お客さんとの会話が気楽にできるようになってきている。

ちなみにOOは、僕の名前を書いてくれている部分。



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