日本時間で4月8日の午後9時前、或いはもっと前だったろうか、突然にテレビの画面に日本人3人がイラクで拘束されたと速報が流れる。 後のニュースから、犯行グループより3日以内に自衛隊を撤退させなければ人質を殺害すると声明文によって警告されていたらしい。僅か3日でその様な要求に対応出来るとは思えず、人質3人は無事に救出される事が出来るのだろうかと思うようになっていたのだが。 翌日9日には被害者3人の家族は上京し、犯行グループの警告する期限は僅かしかなかったのだから焦った気持ちとなり、必死に助けたいと思いながら活動を始めたのだろうか。 また、当日の夜に応じた記者会見の模様はテレビでも放送されていたが、まずはどの家族も拘束された者の行動について謝罪をし、メディアを通じて小泉や政府、または我々国民に対しても必死に思っていたのかもしれないが、 3人の救出の為に自衛隊の撤退を訴えていた事を覚えている。 時間は経ち期限は迫っているというのに、良い情報は入ってこなかったのだが、11日になって24時間以内に解放されると声明があったものの、結局は実現されず、家族の方々の焦りと、犯行グループとハッキリとした対応を見せてくれない政府に対して苛立ちは高まっていったのだろうか。 ニュースなどでも、その様な姿がよく流される様になっていた。また自衛隊に関しては、当初とは異なり、クェートへ一時撤退でもいいから、犯行グループの要求に応じてもらいたいと訴えるようになっていたと思う。家族の3人を助けたいという気持ちには、やはり相当に強い思いがあったのだろう。 当初は、僕は家族の方々の3人を助けてほしいという必死の思いは理解していたつもりだ。犯行グループは解放の条件として、自衛隊の撤退をハッキリと要求していたのだから、政府に対して自衛隊の撤退を懇願する事は当然の事だろう。 だが、僕はあえて出来るならそれを我慢してほしいと思っていたのだ。犯行グループの要求に応じるという事は、テロ行為に(実際犯行グループがテロリストだったのかどうかは分からないが。今は、地元住民による武装集団とも言われている。)屈する事になるのではないかと思っていたから。 家族の方々の気持ちを理解しているつもりで居ながら、 この様に思って居た事は事実。 そして、自衛隊の撤退を訴え続け、感情的となっている家族の方々の姿がニュースなどで多く流される様になっていた事から、段々と家族の方々の発言・行動を無視するようになってしまっていた。 数日前より、ヤフーを通じて邦人人質事件に関する記事を改めて見てたみたのだが、上京してからというもの、かなり活発に行動していた様だ。 勿論、3人の救出を求めて政府、政党或いは国内外のマスコミなどあらゆる物を通じて、日本だけではなくアラブの人々、欧米の人々にも訴えていたのではないだろうか。自分達で出来る限りの事をして、何がなんでも3人を救いたいと言う強い思いがあったのだろう。 そんな家族の行動を無視していた自分が、現在恥かしくも思えるようになってしまう。 いつ頃だったろうか、被害者の高遠菜穂子さんがHPを開いていたらしいのだが、その掲示板にちょっと信じ難かったのだが、1日に17万件もの書き込みがあった事を知った。しかも、書き込みの全てが、誹謗中傷の類だったらしい。 実際どのような事が書かれているのだろうか、思わず知りたくなり検索してみるが見つからない。ならば、掲示板を中心としたHPにも何か書かれているかもしれないと、 検索し、幾つかの掲示板を覗いてみた。 やはり、3人の被害者そして家族の方々に対する批判的な書き込みがほとんどかなと言うのが、最初の印象だった。だが、その後も読み続けていると、あえて非常に厳しい表現を用いて批判をしているのかなと思うようにはしていたのだが、やはりそうは思えなくなってしまう。 勿論、邦人人質事件に関するスレッドに関してのみであるが、被害者そして家族に対する誹謗中傷によるバッシングがほとんどだったのだ。 政府の退避勧告を無視して危険地帯に自ら行ったのだから、彼らは自己責任を負わなければならない。要するに、彼らは政府に対して助けを望んではならないと言っていたのだろうか。 また、政府が救出行動をとる事を否定している者もいれば、政府に救出を求めてはならないと主張するものもいた。更には、事実かどうかは知らないが3人の被害者及び家族の方々のプライベートな情報を勝手に表示して、好き勝手に中傷したり、 勝手なイメージを作り上げ、訳の分からない事を面白そうに書き込んでいる者もいれば、彼らの為に税金が無駄使いされているなどと主張する者もいた。 また何を根拠に主張しているのか知らないが、今回の事件を自作自演だと書きまくっている者などもいたが、どの掲示板でも共通している事があったと思う。自己責任と言う言葉が使われ、誹謗中傷によるバッシングが行われていた事は確かだ。 そして、面白げに誹謗中傷によるバッシングを繰り返し続けている輩達は、どのような心を持って、あの様な卑劣な行為を平気で行っているのだろうか。 読み始めた当初は、例えどのような内容であっても書き込んでいる者は事件の事を真剣に考え、何らかの意見をちゃんと持って書き込みをしているのだろうと思っていたのだが、現在はその様に考える事など全く出来ない。不可能だ。 あの輩達は、ただ遊び気分で適当に書き込んでいるのだろうか、或いは単なるいじめ感覚でやっているのだろうか。 また、こういった輩の非常識な行為が3人を拘束された時よりも、より苦しい状態に追い込んでしまっているのかもしれない。3人は、帰国の時に家族を通じて、我々国民に謝罪の気持ちを伝えているが、一体我々は3人から謝罪を受けなければならない、どのような迷惑な行為を受けていたのだろうか。理解できない。 逆に、彼等をどこまでも追い詰めようとする、我々国民の行為にこそ本当の罪はあるのかもしれない。 自己責任と言う言葉は掲示板だけではなく、政府やマスコミからも頻繁に使われているのではないだろうか。 自己責任と言う言葉を耳にした時、ハッキリとした意味は分からなかったが、その言葉通りに自分なりに解釈して、適当に考えていた。単純に、自分の責任だろうかと。 だから、4月14日に外務省官僚が使った時には、3人は政府の退避勧告に応じずにイラクに入国し、活動しようとして起こった事なのだから、政府は救出する必要なないと主張しているのだろうかとも感じた。 何だか納得しきれない気持ちとなってしまう。だが、政府はしっかりと救出活動をしているのだから、よくやってくれているなと思ったりもしていたが。 だが、3人及び後の2人も救出された後も自己責任と言う言葉が頻繁に使われている。掲示板でも誹謗中傷によるバッシングは執拗に行われているし、何故だか政府からも自己責任と言う言葉を使った批判が発せられたのである。 政府の批判には最初は納得していたのだが、何だかしっくりとしなくなる。それまでは、自己責任と言う言葉を、ただ曖昧に考えてしまっていたが、実際にどのような意味が含まれているのか知りたくなり、検索して調べ見る事にした。 まずは、ヤフーで「自己責任」と言う言葉で検索してみた。自己責任について真剣に語られたサイトが多くあり、幾つも読ませて頂いたが、その中より次の物を見つける。 (自己責任) 2、マスコミ等が自己責任という用語を用い、損失(害)の最終的帰属先の「責任」を表現することがあります。 それは多分に、弱者に被害がしわ寄せされることを揶揄し、比喩的に表現したものでしょうが、誤用と云わなければなりません。自己責任とは、本来、近代法の基本原則で、人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはない、と言うことです。従って他に、責任を負う者が居るのに、事実上全責任を負うことを強いられている者の「責任」を意味するものではありません。 自己責任の意味とは、そういう意味だったのかなと何気なく思いつつ、更に自己責任に関する物を読ませてもらった。そして自分になりに思ったのだが、「単純に個人が何から何まで責任を負わなければならないというものではない」だろうか、である。 出国している者だけではない。当然、国内社会に生活する個々人にも幾らかの責任は負わされている筈である。そして、国内社会であっても完全に安全な快適な社会生活が保障されているとは限らない筈だ。 いつ誰が、どこでどのような事故、或いは事件と遭遇する事となるのか、それは誰にも分からないからだ。これは、世界各国どの社会でも同じだろう。 どの社会で生活する人々も、必ず何らかのハプニングに遭遇する可能性、リスクを持っている筈である。そして社会の一員として生活する為には、リスクに遭遇しない為の注意、努力する事が個々人が負わされた責任ではないのか。 では、もしもリスクと遭遇した後も個々人はその責任を負わされなければならないのだろうか。 もし、そうであるならば、歩行者が車にひかれると言う事故に遭遇した場合、歩行者が突然に通り魔に襲われた場合、女性が痴漢に襲われた場合、不審火などにより突然に家が火災と遭遇した場合、それぞれの被害者はどうすればいいのだろうか。 事故と遭遇した者は、加害者を責める事も出来ず、また救急車を呼ぶ事も出来ず自分自身で病院へ行かなければならないのか。 通り魔に教われた者は、警察へ訴える事も出来ないのか。痴漢にあっている者は、周囲の者に助けを求める事も出来ないのか。 また、家を放火された者も、不審火と遭遇しない為の注意或いは努力が足らず発生した物だから、消防車を呼ぶ事も出来ず、ただ自分の家が燃え尽きていくのをじっと見ていなければならないのだろうか。 そうではない筈だ。個々人が何らかの被害と遭遇した場合、行政及び政府には救出する責務がある筈である。より優れた社会の構築、社会と個々人の安全を保障する為に納税を求めている筈であり、国民である個々人はそれに応じ、税金を払っているのだから。 イラク邦人人質事件の被害者である3人は、米軍と武装集団の争いが激しくなっているこの時期にイラクに入国した事を軽率な行為であったと多くバッシングされているのではなかったろうか。 だが、彼らはボランティア、ジャーナリスト或いはNGOの代表としてしっかりとした目的を持ち、入国しようとしていた筈だ。また現在のイラクが、治安の安定した安全な国家でない事は、世界の多くの者が理解しているのではないかと思えるが。 ましてや、 すでに何度かイラクで活動していた高遠さん、或いはしていたと思われる郡山さんなどは、すでにかなり危険な地域であり状態である事はしっかりと認識していた筈だし、旅行をしに行ったのではない筈であり、入国する前日までにもしっかりと情報は得ていた筈であり、入国した際に 身の安全を確保する為にどれだけの注意が必要であるかも認識していた筈だ。 また、自ら身の安全を確保するのは自分自身の責任であるとしっかりとした意思を持って、活動していたのではないだろうか。 まして、自己の自由の決定により行動する場合には、政府などが身の安全を保障してくれる訳がない事など、誰もが承知している筈だ。 当時のイラクには、海外よりボランティア、NGO或いはジャーナリストなどの民間人が多く入国していた筈だ。当時はすでに、海外の民間人及びイラクの人々も多く拘束される様になっていた。だが、当然全ての民間人が拘束されていた訳ではないし、3人も入国すれば必ず拘束されると決まっていた訳ではない。 もしも、拘束されたガソリンスタンドに到達する時間、或いは行動に幾らかのズレがあれば、拘束される事は無く、3人共目的の地に辿り着き、目的の行動を取っていたのかもしれないのだ。 故に、 不測の事態によって拘束された事は、ただ3人にとって不運であったとしか言い様が無いのではないだろうか。 拘束された後に、3人は犯行グループにより強制的に政府に対する批判の発言をさせられていた様だが、当然であるが助けを求める発言など行う事など出来る訳は無い。この3人を救出するか否かの決断は、政府に任される事になる。 4月9日、防衛庁の首脳は次のような発言をしている。「邦人保護は日本政府全体の責任だ」。邦人の保護は政府の責任であるとハッキリと言い切っている。この決定は、政府として当然の事だろう。 この責務に基づいて、政府は非常に活発に行動してくれていたのだと思っている。世界各国に救出の強力を求め、イラク国内に於いても部族長などにも救出の強力を求めていたと 情報は流れていた。 だが、4月14日に外務省事務次官が気になる発言をした事は確かだ。先にも書いたが、3人には自己責任があると発言し、イラクへ入国した行為を批判していた。 これが、3人が拘束された事について、もっと身の安全についての責務を強く行ってほしいと 言っていたのであるならば、一応納得は出来る。 だが、もしも有り得ない事だとは思うが、3人が政府の退避勧告の指示に従わず、拘束という被害と遭遇した場合、その後も個人の責任となり 本来政府が救出する責務は無いと主張していたのであれば、まさに論外である。 もしも、その様な事を行った場合、政府は自らの責務を放棄し、拘束された3人が見殺しとされる事となるではないか。 また、4月23日の産経の社説に於いて、政府の退避勧告に従わない者を見切るのは当然ではないか、要するに助ける必要は無いとい論じているのだ。 これでは、 政府の指示に従わず、自己の自由の決定により行動する者は、国家が保護する必要はないと言う事か。という事は、今回の3人も国は助ける必要は無く、見殺してもかまわないと主張したいのだろうか。政府の言いなりとならない者は、日本国民として認めないと主張したいのだろうか。唖然とするばかりだ。 また4月24日の読売にも気になる記事が見つかった。 3者の解放に関しては、イラクの男性が大変に活躍していたらしいのだ。今回の日本人5人全ての解放について、大きな協力をしてくれたイスラム聖教者協会に働きかけてくれたのも、この男性だったらしい。 この記事を知った時には、日本政府は、実際どれだけの活動をしてくれたのかと、幾らか疑問に感じてしまったのだが。 だが、解放された方々を確保し、日本に帰国させてくれたのは日本政府である事は間違い無い。しっかりと、国はその責務を果たしてくれたのだと信じていたい。 しかし、政府は今回の邦人保護に責任の一部の費用を被害者に負担する事を求めている。また、一部の政治家などは誹謗中傷する輩と同じように、まるで国が被害を受けたかのように、被害者に損害賠償を求めるべきだと主張した者もいた筈だ。 この場合に関しては、政府の責任はどの範囲まであったのかという事になるのではないだろうか。 と考えた場合、やはり被害者3人を日本まで戻した段階で、完全に保護したといえるのではないだろうか。 故に、被害者に対して、一部とはいえ、費用を請求する必要はあったのだろうか。まして、被害者より被害を被ったのであるから、被害者に対して損害賠償の一部として求めたとしたならば、その行為に正当性が存在するとは思えない。 あくまでも被害を被っているというのであるならば、 それに対する費用は、被害者では無く加害者である犯行グループに対して請求しなければならない筈だ。 何故、被害者に対して費用の一部負担を請求したのか。その意味が理解できない。 最後となるが、家族の方々は上京してからの行動について執拗に激しくバッシングされていると思われる。だが、何故その様な行為を受けなければならなかったのだろうか。拘束された被害者の家族の方々は、救出を求め、ただ必死に訴え、懇願し、活動しただけではないか。 非常に危険な状態にあると思われる、拘束されている家族を救いたいという思いからの行動である。逆に、賞賛されてもいい筈である。 バッシングする者達は、ただ政策変更を主張した、或いは政府を非難した事などを許される事ではないとして、攻めたてているのだが、我々国民は社会生活において必然的に自己責任を負わされていると同時に、法というルールの元に活動及び主張に於いて自由が与えられている筈である。 政策を批判し、政府に対して訴える行為も認められている筈だ。もしも、それが認められていないというのであるならば、多くの日本国民を拉致したとされるとある国、或いは冷戦時代の共産主義国家と同じ国となってしまうのではないのか。 日本はその様な国では無い筈だ。 被害者、及び家族の方々への誹謗中傷によるバッシングという非常識な行為は、いい加減に止めてもらいたいものだ。 |
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