テリー・フォックス



テリー・フォックスという人物の事を知ったのは、05年6月9日に放送された「アンビリバボ−」を観た事がきっかけだった。ビートたけしが、番組の後半の部分で最初にカナダの硬貨に刻まれている人物像を紹介するシーンがあったが、 その人物がカナダで国民的英雄ともなり、国民栄誉賞も受けているテリー・フォックスだったのだ。

最初には単なる好奇心から観ていたのだが、彼の生き方を見せられていく事によって必然と心は惹き付けられていった。
彼は1958年7月28日生まれで、18歳までは極普通の人生を過していたのではないかと思えるのだが、 人生というものには突然に何が襲って来るものかは分からないものである。彼の体には、突然に骨肉腫というガンが襲ってしまったのだ。そして彼は、手術によって右足を大きく失ってしまう事となってしまう。
その様な処置を受けてしまえば、大きなショックを受けててしまいそれから立ち直る事に大きな時間が費やされるのではないかと思うのだが、入院中の事だったのだろうか、色々な方々との出会いや、同じくガンで苦しんでいる人々を見た時に、 彼等の為に何かをしたいといった意思を持つようになり、彼はガンの研究費用の募金をする為になんと大陸を横断するマラソンを行う事を決意したのだ。
といって、個人のみで行うという事は困難だったのだろう。マラソンに使う義足などの援助を受ける為に、彼は活発な活動をしている。
そして全ての準備が整った1980年4月12日にカナダの東海岸ニューファンドランド州セント・ジョーンズを 出発し、毎日をフルマラソンと同じ距離を走りながらゴールを目指して懸命に走っていた。

だが、スタートした直後には仕方の無い事だったのかもしれないが、カナダの国民からは殆ど関心を持たれていなかった様だ。故に、これは推測に過ぎないがガン研究に対する募金も余り集まる事なく進んでいたのではないだろうか。
だが、 スターとしてから何日目なのかは分からないが、トロントのガン協会の広報マンでもあるらしいビル・ビガースという人物が、テリー・フォックスの行動をマスコミなど通じて彼の活動をカナダ国民に伝えてくれた事によって、彼の活動を応援するカナダ国民はどんどんと増えていく様になり、 募金も多く集まる様になったらしい。

だが、彼の体は決して完治していなかったのだろう。スターとしてから143日目にはガンが肺へ転移している事が分かり、スタートしてから5、373キロを走り、オンタリオ州サンダーベイに到着した80年9月1日にドクターストップが掛かる事により止められてしまったのだ。
この事には多くのカナダ国民が衝撃を受けたらしいのだが、だが最も大きな衝撃を受けているのは本人ではなかったろうか。彼自身が最も強く完走する事をゴールまで走りきるという思いを強く持っていたのだろうから。
そして、81年6月28日に僅か22歳で、彼は人生を終えてしまっている。

アンビリバボ−を観た後、彼に関するサイトはないだろうかとすぐに検索をした。そして幾つかを読ませていただいた。彼は本当に凄い人物だと思わされる。
まず義足を付けて走るという事自体がかなり厳しかったのではないかと思えるのだが。
しかし、大陸横断マラソンを行う時には、出来る限り義足による摩擦による足への痛みが起こらない物を入手していたと言われていたと思うが、それでも相当に厳しかったのではなかろうかと思えるのだが。
また、このマラソンは「希望のマラソン」とも称されていたらしいのだが、 ガンに苦しむ子供達に、可能性が厳しいと思われる横断マラソンを実行する事によって、ガンに苦しんでいる方々に決して諦める事無く挑んでいけば、克服する事も出来るんだ、その可能性もあるんだ、そしてガンに勝つ事が出来るんだと強く訴えようとしていたのかもしれない。

あの時、彼の生き方、強い意思による行動を見せられた時、何か強いものを感じさせられていたと思う。
思わず、これまでの自分の人生を振り返って見た時に、何かに付けて消極的になってしまっていた事が多かった様に思える。何かをしようと思っても、 自分なんかに出来るものだろうかといった過る思いが頭の中を通ってしまい、結局は中々活動せずに終わってしまった事が多かったと思えるのだ。
彼の様に、必死に挑もうとする気持ちとなる事が余りにも無かったのだ。そんな自分自身を振り返った時、何だか後悔した気持にさせられていた。
そして自分自身で感じるのだが、彼の生き方に魅せられた影響も幾らかあるのではないのかと思うが、精神面でも大きく変化してきているような気がしてならないのだ。

彼の行った活動の意味は、もの凄く大きいのではなかろうか。
彼が他界した後も、彼の意思を受け継ぐかの様に彼が横断マラソンを中断する事を余儀なくさせられた翌年の9月から、カナダ各地で、ガン撲滅を主旨とするイベントとして老若男女が参加するテリー・フォックス走が行われるようになり、 そして彼の意思は今では世界へと広がっているのではなかろうか。
今では、日本でもテリー・フォックスラン・日本として1995年から毎年行われる様になっているのだから。

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