星野が1983年(昭和58年)に監督に就任した時に、大胆なトレード4対1でロッテから落合博光を獲得した。
ドラからは牛島、上川、桑田、平沼が移籍しているが。 この中で、平沼は後にドラゴンズに復帰している。 ドラゴンズの一員となった落合だが、92年に高木が監督就任した秋に巨人へと移籍した。 後に日ハムに移籍し、98年に現役を引退する。 それから5年の間隔を置いて、山田監督の後を継いでドラゴンズの監督に就任する。 落合は監督としてもドラゴンズでは活躍してくれたんじゃないだろうか。 星野から始まっていたメジャーのドジャースト同じデザインのユニフォームを、 一新し現在のデザインと変えたし、就任1年目にリーグ優勝を達成。 だが、 日本シリーズでは西武に5戦目に王手を掛けるが、6・7戦を連敗してドラゴンズにとり2度目の日本一を逃してしまった。 だが2年後にはドラゴンズを改めて優勝へと導いてくれる。この年の日本シリーズは日ハムと行ったが、 1勝4敗の惨敗となってしまった。 しかし、翌年は優勝は逃すがクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズ進出を決める。 2006年と同じ日ハムと日本シリーズを戦い、06年とは逆に4勝1敗で勝ち抜き、ドラゴンズを53年ぶりの日本一へと導いた。 と同時に、アジアシリーズでも日本代表としてドラゴンズが挑み、決勝で韓国のSKワイバーンズを下し、 アジアのプロ野球でもNO1となっている。 それから3年後の10年には落合監督となってから3度目のリーグ優勝を果たす。 そして、日本シリーズはロッテと対戦し、最終戦までもつれる展開となる。 第7戦は序盤は完全なドラゴンズペースで進むも、中盤には追い付かれ負け越してしまう。 だが9回裏に追い付き、延長へ進むが延長12回に浅尾が負け越しの1点を奪われ、終わってしまう。 そして11年にはドラゴンズ初の連覇を達成する。 クライマックス・ファイナルではヤクルトを下し、 2年連続日本シリーズへ。相手はソフトバンク。 ヤフードームで2連勝した事から、 3戦目からのナゴヤドームで日本一を決めるんじゃないかと多くのドラゴンズファンは確信を持ったんじゃないだろうか。 だが、全く予想外な事にシーズンでは非常に高い勝率を誇っていたナゴヤドームで3連敗。 逆王手をたてられてしまった。しかし、6戦目は吉見、岩瀬、浅尾がしっかりと抑え切り最終戦に持ち込む。 だが、悔しい事に2年連続で日本一をとり逃してしまった。 落合が監督就任してからドラゴンズは1度もAクラスから脱落していない。 また「オレ竜野球」と言われていたが、投手陣と守りを軸としたチーム作りに徹して8年間の監督を貫いたんじゃないだろうか。 球場が広くフェンスも高いナゴヤドームでは、打撃中心よりも守り中心のチームが適しているのかもしれない。 打撃の主力としては、和田やブランコなどを置いてその他は守備力の高い選手をスタメンとし、戦い抜いていたんじゃないかと思われる。 その為に、打撃成績が良くないシーズンが多かったんじゃないかとも思うが。 だが、一つのチーム体性を貫き、3度の優勝と4度の日本シリーズ進出。そして53年ぶりの日本一を達成し、 ドラゴンズ初の連覇も達成した。 監督として見事な戦績を残した。 落合は打者だけでは無く、指導者としても素晴らしい才を持ちえていた事は間違い無いだろうな。 また依頼があれば、監督就任を望んでいるらしい。次に落合が監督としてユニフォームを着るのは何年後、 そしてどのチームとなるのだろうか。 |
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