自立への思い



現在とても意識している事がある。自分には自立への自覚がどれだけあるのかと。これまでの生き方は甘ったれたとしか言い様のないみっとも無いものだ。

保育園を出た後に何故だか分らないけど自分は地域から離れた学校の養護学級に入れられていた。子供の頃にはそんな事に意識は無く、学校やクラスメートに強い親しみを持ってたんだけどね。

小学5年の頃に親の再婚で、山村の普通学級へ転校する事となった。この時も別に何とも思ってなかったし、勉強にも付いて行けていなかったなどとは全く意識していなかったし、すぐに友達も出来たよ。

中学に入ると、寮生活になるんだがここで一寸いじめを受ける様になり、知らぬ間に登校拒否なんてな事をやってた。
これも甘えが原因だったのかなと思ったりしたんだが。卒業後、登校拒否してたんだから進学なんか出来る訳無く就職する事になったんだが、たった1日で首になってしまったよ。
一人の左官の親方のとこに就いたんだけど、気に入られなかったのか仕事が終って戻ったらあっという間に首と言われた事を覚えてる。

その後は山村に戻るが、虐めの影響もあってか人の目を強く意識するようになり部屋に篭る様になった。
更に癲癇なんて持病も発生してしまう。

20代になってからだったのかな、バイクに興味を持つ様になって原付でハスラーに乗る様になり、次にTZR125に乗り、NSR250、バンディット400と乗り続けた。乗ってる時には癲癇の発作は無かったよ。
ツーリングで弟と日本海へ行った事を覚えてる。

平成3年に高知市へ戻ってるんだが、13年頃からだったな県立短大を卒業した年に朝倉モータースからの知り合いからの紹介で、県庁内の自転車店で仕事をする様になったんだよ。
3年ぐらいだったと思うんだけど、初めて、且つ一度だけまともに仕事をしてた時期だったんじゃないのかな。
楽しかったよ。お客さんとのコミュニケーションや、問屋や近所の自転車屋のおんちゃんとの会話も。また自転車屋には修理を協力してもらったこともあったけど。

収入は少なかったけど、この時期は本当に楽しい時期だった。

一寸した事から辞めてしまい、それから一切仕事についていない。持病の影響から障害年金を受ける様になって、これにも物凄く甘えているのかなと思えてしまう。本当なら一刻も早くあのややこしい持病を治さなきゃと思うんだが、そんな積極性が沸いてこない。

こんないい加減な生き方をしながら、もう50も過ぎてる。なのに、何も残せるものがない。何より自立の意識が、時々勃発的に起こった事はあったけど、完全な自覚がない。

何もせずに、ダラダラしながらくたばったいくのか、少しでも甘ったれた気持ちを完全に捨て完全に自立を自覚した時を少しでも過ごしながらこの世を去る事が出来るのか。

惨めなままの障害で終りたくないという意識は強いんだけどね。

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