今年の5月にも書いたが、最近はこれからの生き方というか、これから死ぬまでどうやって生きていけばいいのかと悩んでいる事が多い。
これまでの自分を振り返ってみると、真剣に生きてきた時なんか殆ど無い。追手前小に通ってた時はそうでも無かったかも知れないけど、もしかすると追う手前小に通ってた時から狂ってたのかもしれないな。
責任転嫁になるかもしれないが。保育園では普通に暮らしていた筈なのに、どうして小学校は普通で無く養護学級へ通う事になったのか。双葉保育園の保育士が判断したのかもしれないが、他の連中と比べて何が劣っていたんだろう。現在になって考えてみると不思議でならない。
だけど、追手前小に通ってた時はとても楽しかった。同じ双葉に通ってた妹は通常の潮江小に通ってたんだが。
だが、普通学級と養護学級じゃ学習のレベルが異なってくる筈で、普通よりも養護の方が低く設定されてるんじゃないか。そんな自分が小5の時に、普通学級へ転校する事になった。
すぐに友達も出来ていたし、一緒に勉強も出来ていたと思うし、この時には何も考える事は無かったよ。だが、中学に通い始めたら勉強とかクラブ活動とかは別に良かったんだけど、寮生活で簡単ないじめを受けるようになってしまって、何時の間にやら不登校と始める様になってしまってた。
そのまま卒業式にも出なかったんじゃなかったかな。
当然だが進学なんか出きる訳が無い。不登校してなくても、進学は定時制だったろうな。卒業前には、就職の面接があって、左官の就職に雇われる様になったんだが、通ってみると、たった1日でクビニなってしまった。あの大将が自分が気に入ってなかったのかな。
それからは部屋に閉じこもりになって、18頃から持病が発生する様になる。だが、今から考え直してみると、林業の仕事とかやろうと思えば出来る事もあったんじゃないのかなと思うんだが。
この頃は、仕事を使用なんて全く意識していなかった。ハッキリいって親のすねかじりで生きていた。 思い返してみると、みっともない事をやってたもんだなと思わされてしまう。
平成3年に高知市へ戻り、バイクを切っ掛けに一人の男と出会う事になる。この男に短大を卒業する年に一つの仕事を紹介してもらって始めた。 県庁にあった小さな自転車店の代理人みたいな感じだったけど、
結構修理の依頼に来てくれる人がいた入りして、その作業を受けする事が結構面白い。 問屋のおんちゃんとは簡単に親しくなったし、修理で分りにくい事があったりしたら、近くにある自転車屋にいって助けてもらった事もあったし、
スクーターの修理なんかはバイクで知り合った奴にいつも頼んでた。
だけど、県庁にある小さな店を嫌ってた奴もいたのかな。修理の依頼も無く、入り口を塞ぐ様に、自転車を置いてる事があった。思わず暑くなり、メールで当時の橋下知事にメールで連絡すると、すぐに対処してくれたよ。
店の入り口の前に柵を置いて、自転車など故意に置けないように。
月給は2〜3万程度だったんだけど、毎日仕事をやってる事を正直楽しいと思ってたよ。だから、依頼以上にサービスる事が結構あったけどね。当然、サービスは無料だし、一々言わなかった。
もう医大に通ってる時だったかな、また店の前に故意に自転車などを置いて店に入りにくくする奴らが出てきた。この時も熱くなり、すぐに現在の尾崎知事にメールで抗議するが今度は何の対応も無し。
嫌がらせが減少する事など無い。数日は我慢したけど、きれてしまって店に入るのを辞めた。
この店で働いているのは自分だけ。持病が発生しても、気づかれる事は無かった。だから、持病も余り意識せずに仕事に集中して出来たんじゃなかったかなと思うんだが。
店に入ってから、何年目辺りから医大へ通い始めていたか覚えていないけど、持病の状態が大きく変わった。以前の病院へ通ってた時には、軽・複雑発作などがほぼ毎日発生していたんだが、軽発作が完全に消えた。
複雑も回数が減ってきて月4回位になってた。
教授の都合から市内の病院へ移るんだけど、せっかく良くなってきていたのが悪化してる感じだ。
現在通ってる病院では、完全に消えていた軽発作がまた起こる様になってきているし、自分には分らないが発作が起こった時には痙攣が発生する時もあるらしい。
月々の発作の回数は2〜5だろうか。
かなりきつい状態の発作が起こる自分を雇ってくれる所があるんだろうか。月1回だとしても。発作の状態によっては雇ってくれる所もあるかもしれない。その可能性を高める為には何が必要か。
やはり体力。一日中労働してもバテない様な体力が無いと、月1回どろこか複数回起こる事は間違い無い。
そういったことも意識し、ウォーキングなど運動を活発にやるようにしているんだがな。
だが、自立する意識が完全に出来上がってこないんだ。もう50代だというのに、まだ甘ったれた気持ちがあるんじゃないかとおもえてならない。
それにもしも自立できないと思えるんなら、このまま何もせずに屍になるんじゃ無く、何かをしながら、求めながらくたばっていくべきじゃないかと思うんだが、
そんな気持ちも確立できずにいる。
自立の意識、今のままでくたばりたくないという意識がハッキリしないと、自分は惨めなままに終ってしまうんじゃないか。
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