悪戯か、それとも・・・

初めての足摺
僕は10代の頃からバイクに乗り続けているが、10代・20代の頃は速く走る事ばかりを求めていて、四国山地や 海岸線のワインディングをよく走っていて、ツーリングに出かけた時にも、旅を楽しむというよりも、走る事を楽しんで ばかりだった。
だが、30代になってからは意識の持ち方も少しは変わってゆき、速く走る事からツーリングを中心に楽しむ事へと変わっていったのだが、 それに反して、愛車はツーリングには向かない速い物ばかりに乗っていた。気持ちは旅を楽しむようになっていったのだが、 まだ速く走りたいという思いが強く残っていたのだろう。
そして、去る事3年前、98年から2年続けて足摺へ行ったのだが、同時に2年続けていたい思いをさせられる事になる。

ツーリングは四国を中心としていたが、3年前まで足摺には一度も行った事がなかった。高松や松山へ行くよりも距離があり、 更にR56は高知市から土佐市あるいは須崎まで車が混んでいるとこが多く、時間もかかる。だから、それまで西部の方へは 余り行く気が起こらず、それまでも四万十川を見に行った程度だった。
だが3年前の秋に思い切って足摺へ行く事を決める。時間がかかる事は仕方がないが、足摺の海岸線を一度は走ってみたいと思っていたから。
コースは、まずR56を走って中村まで行き、そこから土佐清水へは行かず遠回りにはなるのだが、宿毛を走ってサニーロードR321に行き、 大月、土佐清水を通って中村に戻り、そこからまたR56を走って帰るように計画していた。勿論、足摺などでは足摺岬など何ヶ所か立ち寄る つもりでもいたのだが、思い通りには行く事はできなかった。

ちなみに当時僕が乗っていたバイクはNSR250R。2スト250では最速といわれる奴だ。 僕が乗っていたのは、知り合いのバイク屋が県外から探してくれた奴で、初期型に近い奴だったのだが無茶苦茶速かった。
加速は鋭く、コーナリングは柔らかくどんなコーナーでも思うがままに走る事が出来たし、正に僕の思い通りに走ってくれる 素晴らしい最高の愛車だった。
こんなバイクに乗っていると、ツーリングに出かけていてもやはり速く走ることを求めたくなってくる。故に、とろとろと走らされた 須崎まではかなりいらつかされた事もあったが、中土佐の手前辺りから車の量も減り始め、それまでの鬱憤を晴らすかのように走り始める。
といっても、思うように走れた訳ではなかったが。それでも、市内から2時間弱で中村に着き、GSに寄ってそのまま宿毛へ向う。
宿毛ではペースを落とし、のんびりと走ったのではなかったろうか。高知にいながら初めて入った街で、何となくどんなとこかいなと 周りを少し見ながら走っていたと思う。そして、いよいよ宿毛から目的の場所サニーロードへ入るのだが、ここでとんでもない目にあって しまうのだ。

大月町での事だったが、サニーロードに入った当初は車も無く、コーナーも多くあって快適に走っていたと思うのだが、 徐々に前を走る車が増えてくる。
1、2台の時にさっさと抜いていればよかったのかもしれないが、僅かな時間の間に5・6台に増えてしまい、そう簡単には 抜けそうには無かった。その時にどんな事を思っていたかは覚えていないが、少し距離を開けてのんびり走りつつ一つのコーナーを抜けると 長い直線が現れた。
これはチャンスだと思ったはずだ。一気に加速し、抜きにかかった。そしたら、何台か抜いた時に、突然目の前に トラックの後ろの部分が、僕の道を塞ぐかのように現れた。目の前にはトラックしか見えない。焦った。慌ててブレーキ。 だがトラックとの距離はどんどんと縮まっていく。もうぶつかると思った時に、突然体が浮いた。そして路面に叩き付けられ体は転がっていく。 体が止まった時には意識はあった。何を思っていたかは覚えていないが。
そして、体を起こしバイクを探してみたがない。道路のどこを見ても見つからない。
そんな時に、車に乗ってた一人の男性が、道路脇にある田んぼを指差して、
バイクがあるといってくれている。立ち上がり、見に行ってみると、 驚いた事に、バイクは田んぼに直角になるように、前後のタイヤから突き刺さるようにのめり込んでいた。更に、テールの部分は破壊されていたが、他の部分は壊れて いるようには見えなかった。その時は、ただ損傷が少なく見えた事くを単純に助かったと思っていたことを覚えている。
恐らく、ブレーキングでフロントがロックし、ジャックナイフが起こり、僕を飛ばして、NSRはそのまま回転してテールを路面に打ちつけ、その反動で 田んぼのほうへ飛んだんだと思うが、しかし田んぼへ上手く突き刺さってくれるとは、運が良かったとしかいいようながない。

田んぼは、道路から1メートル位下の方にあって、しかもNSRの両輪は深く
のめり込んでいる。とてもじゃないが、僕一人では取り出せるものではなかった。 だが、田んぼの持ち主か車に乗っていた方の誰かが携帯などで連絡してくれていたのだろうと思うが、突然バイク屋が現れたのだ。そして彼が バイクを引き出そうとすると、他の男性の方々も一緒になってあっという間に田んぼから引き出してくれたのだ。
バイク屋はすぐにエンジンやその他をチェックしてくれ、走れると判断してくれると、あっという間に帰ってしまった。
他の車の方々も励ましの言葉を残して去って行ったが、今思い出してもあの時の、あの方々への感謝の気持ちは忘れられない。

その時は、目に見える傷が両手にあったのだが、持ち主の奥さんが、僕に待っているように言って下さった後、わざわざ自宅に帰り、 持ってきたリバテープを僕の両手の何ヶ所かの傷に張ってくださった。
しかも、持ち主の方も奥さんも、僕が田んぼを痛めた事について何ら苦情をいわず、請求を求める事も無かったのだ。その場を立つ時に ちゃんとお礼の言葉を言っておいたが、今思い出しても本当に有り難いと思う。
ちなみに、道を塞ぐように突然僕の目の前に現れた奴は、路面に座り、NSRがどこにあるのかも分からずにいた時に、ちょっと声を掛けて来ただけで 知らぬ間にどこかへ消えていた。何を言われていたかも、全く覚えていない。

再び走り始めるが、もうどこにも寄り道はせずにそのまま帰ることを決める。そして、先程バイク屋に走れるとは言われていたが、 派手な事故をしたばかりだった為、どこまで大丈夫なのかと不安を拭いきれず、最初は慎重に走った。特にコーナリングの時に 気を使っていたのだが、走っていてこれといった異常は感じられなかったので、徐々にペースを上げていった。
3時頃と遅くなったが、土佐清水に入って見つけた小さなレストランで昼食を取る。この時に、バイクを乗り降りする時に、体がかなり固くなってきている事に 気づかされた。
土佐清水の市街地を通るのも初めてだったのだが、宿毛の時のようにのんびりと走る余裕など無く、さっさと通りぬけて中村へ向っている事から、 走っている時にも体のあちこちに傷みを感じ始めた。
四万十を超えて、缶コーヒーだったかジュースだったかを飲もうと自販機の前に止まり、バイクから降りようとしたら、体は固くて痛くて、 足が上がらない。それでも、何とか降りて、何かを買って、バイクを見ながら飲んでいたと思うんだが、何かを思っていたはずだ。バイクの事は勿論、 病院へいく事も考えていたんじゃないかと思うが。ハッキリとは覚えていない。

そして、また必死になってバイクに乗り、また走り出す。そこからは、頭の中には早く帰る事しかなかったと思う。
須崎からはまた長い渋滞があったが、横をすり抜けるようにして走って行き、帰りついた頃は5時半頃だったろうか。部屋に戻ると、すぐに近くの病院へ 電話をし、診てもらえる事を確認してから行った。もしやと思っていたのだが、医者が言うには骨折はどこもないとの事だった。だが、 大月でリバテープを張って頂いたとこは意外と傷が深く治すのに時間がかかってしまったが。

NSRは知り合いのバイク屋に、見てもらったのだが、思っていた以上に傷んだ部分が多かった。僕は見た目でした判断していなかったんだが、 エンジンなどもおかしいといわれてしまう。走ってる時には気づかなかったんだが、言われた後にかけてみると、確かに異音が聞こえていた。 「よう、帰ってきたな」といわれた事を思い出すが、あいつに「よう、ここまで頑張って走ってくれたな」と感謝の気持ちで一杯だった。 もう修理は出来そうにないと言う事で、残念ながら結局修理は諦めてしまった。



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